東京は江戸時代からごみ処分を東京湾に求め、海こそが東京の清掃事業にとっては最も頼りがいのある埋立地となってきた。それゆえに、過去においては同じ首都圏でも内陸部の都市が“土地探し”に必死になっている際中に、ゆとりを見せている時すらあった。しかし、それも東京湾の処分地に余裕がある限りのことであって、黄色どころか赤信号がつき始めたいま、東京は文字どおり非常事態に陥っている。都は現在、中央防波堤の外側を処分地として利用しているが、現行計画によると、それが満杯になるのは1995年頃とふんでいた。これに基づいて都としては東京湾内に新しい埋立地を設ける予定を立てていた。ところが、最近のごみの増え方は凄まじく、このままいくと予定よりは3年ほど早く、あと2年少々で限界に達する恐れが出てきたのである。そして、もし実際にそうにでもなってくると、東京は掛け値なしに重大な危機に直面するだろう。というのも、いますぐ新処分地の場所が定まったとしても、環境アセスメントを含めたさまざまな行政手続きをへたのち、護岸工事などの建設工事をも終えるには、7、8年は要するからである。だとすれば、満杯になる現処分地から新設される処分場につなぐまでの3、4年をいったいどう乗り切ればよいのだろうか。これが至難であることから、1992年危機説・太田哲二『ごみ恐慌1992年』(1989、八重岳書房)が出てくる。そのうえ問題はこのような“つなぎ”次元にとどまらず、もうこれ以上の東京湾の埋立は、生態や海上交通などに及ぼす影響からいって許されるべきでないとする意見や住民運動があるのである。考えてみれば、20年も前に宣言された“東京ごみ戦争”は、その終結が宣言されたのだろうか。幸か不幸か、終結されたとは聞いていないので、その限りでは戦争はいまも続いているのであろう。それに実態を見ても、東京のごみ問題は20年前よりはるかに深刻になっているのである。